日常から医療の話まで院長の徒然日記

手洗いの父センメルワイス物語と見えない病原体の対処法

ウイルスや細菌などの目に見えない病原体をどのようにして防ぎ制圧するのかは古くて新しい問題です。

このブログは2020年の2月に書きました。この時点でCOVID19(新型コロナウイルス)の感染者が日本でも増加しています。ではどうしたら防げるのかあるいは制圧できるのか不安になっているみなさんも多いでしょう。このブログでそのような不安が少しでも解消できれば幸いです。

2020年はインフルエンザの発症数が半減しています。
この事実をまず知って下さい。

2020年はインフルエンザの発症数が半減  

その理由は、COVID19の感染を警戒し、手洗い・うがい・休息をきちんと励行している人が多いためだと思います。今のところ、見えない病原体に対する個人の防疫は確実に結果をだしています。

そのような予防医学・院内感染の先駆者であるセンメルワイスですが、手洗いの父ともよばれています。まだ身体の中で増殖する見えない敵の正体が明らかでない時代に『*医学的清潔・不潔』の概念を確立し、手洗いの徹底で見えない敵に対処できることを証明しました。

*医学的清潔・不潔
医療現場で使われる「清潔」「不潔」と言う言葉は通常使われる清潔、不潔とは少しニュアンス違います。見えない病原体がないか(清潔)、ある可能性があるか(不潔)ということです。
「清潔」:滅菌もしくは消毒された状態
「不潔」:滅菌や消毒のされていない状態

それではセンメルワイスが生きた時代の歴史的背景を 先ずは 理解しましょう。

センメルワイスが自身の管理下病院で手洗いを徹底させたのは19世紀の中頃です。その頃に見えない敵と闘った人達の年表です。

1674年:レーウェンフックが顕微鏡により微生物を発見
1798年:エドワード・ジェンナー が牛痘の膿による種痘法を 開発
 (1980年には天然痘根絶宣言)
1843年 :オリバー・ウェン デル・ホームズが産褥熱の剖検で同病が感染する危険性を報告
1865年:ジョゼフ・リスターが 開放骨折をフェノール包帯で治療 
1865年:パスツールがカイコの 微粒子病を微生物の感染と示唆
1892年 :イワノフスキーがウイルスの存在を示唆
1897年:ロベルト・コッホが炭疽菌で細菌が動物の病原体と証明
1917年:フェリックス・デレーユがウイルスを発見

年表でも分かるようにセンメルワイスが活躍した頃はまだ微生物が接触感染の原因とは知られていませんでした。そのため、なぜ徹底した手洗いが産褥熱の発生に有効であるのか センメルワイス 自身も証明しきれず、さらに疫学も黎明期の学問であったため、彼が生きている間には統計的結果だけではドイツ医学界の賛同を得ることはできませんでした。

また、センメルワイツがいたウイーン(オーストリア)やブタ(ハンガリー)はドイツ同盟の雄であるオーストリアの支配地でもありました。

1800年代、ヨーロッパは各地域の王族が群雄割拠し、混乱した時代でしたが、 ハプスブルグ家が支配する他民族国家であるオーストリアはドイツ文化圏の大帝国であり、ウイーンはヨーロッパ政治の中心地でした。オーストリアとハンガリーは民族が違ったため、1849年にハンガリーが独立を宣言し、抵抗運動が勃発しました。その結果、 1867年にはオーストリア・ハンガリー帝国になり、その後1918年に完全分離するまで、オーストリア(首都:ウイーン)・ハンガリー(首都:ブタペストは1873年にドナウ川の西岸のブダと東岸のペストが合併した都市 )は ハプスブルグ家 が支配する一つの帝国として存在していました。

では、そのような背景を理解していただいて、 「産褥熱は接触感染で起こり、医療従事者に手の消毒を義務づけることでその発症率を激減させることができる」ことを証明した 彼の話を始めます。

センメルワイス物語

彼の正式名はイグナッツ・フィリップ・センメルワイス(Ignaz Philipp Semmelweis、1818.7.1生〜1865.8.13没)です。

1818年に裕福なドイツ系商人の第5子として、ブダに生まれました。子供の頃はブダにあるカトリックの学校に学び、17才の時にはペスト大学に入学、19才で卒業しました。その後、ヨーロッパの重要な医学拠点の一つであったウィーン大学で法学を学び始めましたが、翌年には医学部に転向しました。1844年に博士号をとり、産科医を目指しました。

1846年にはウィーン総合病院第一産院のヨハン・クライン教授の元で助手に昇格しました。

当時の産科は恵まれない環境の女性が無料で医療が受けられる代わりに、妊産婦は医師や助産師のトレーニング台という側面もありました。ウィーン総合病院には2つの産科がありました。第一産科では産婦の10パーセント以上が産褥熱などにより死亡していました。第二産科の死亡率は4パーセント以下で、この噂は世間には知れ渡っていました。

センメルワイスは、自分の所属する第一産科が第二産科よりはるかに高い死亡率を出している理由について常に心を痛めておりました。もちろん、二つの産科で技術には大きな差異はありませんでした。大きな違いは妊婦に接している人でした。第一産科は医学生の教育のため医学生がお産を担当し、第二産科では主に助産師教育のための産科チームでした。

彼は詳細な観察から、産褥熱の発生に大きく関与しているのは人ではないかとの考に至りました。そしてそれを決定づけるエピソードが1847年に起こりまし。センメルワイスの友人でもあった同僚のヤコブ・コレチカの死でした。コレチカは産褥熱の遺体解剖を行った際に誤ってメスで指を傷つけてしまい、その後、産褥熱に似た症状で死亡したことから、死体の「汚染物質」と産褥熱との関係性を確信しました。

医学生は教育のため死体解剖を行い、 解剖室から出てきた医師や学生たちが手を丹念に洗いもせず感染性粒子を手に付着させたまま第一産科のお産にも立ち会っていることと助産師たちは解剖室には出入りもしてないとことの違いでセンメルワイスは未知の「手についた微粒子」(an der Hand klebende Cadavertheile) が産褥熱を引き起こすと仮説を立て、解剖室から産婦診察の間にさらし粉(次亜塩素酸カルシウム)を使って手を洗浄する*手洗い除菌法を提唱しました。

せっけんの使用だけでは不十分なため、高度さらし粉(塩素化石灰:次亜塩素酸カルシウム:カルキなどとも呼ばれる)水溶液による5分間の手洗い・爪洗いを義務づけました。

A:一切消毒していない手  B:石鹸で洗った手  C:アルコール消毒を行った手

写真は現在の細菌培養シャーレですが、この写真で明らかなように、その効果は劇的なものでした。

第一産科と第二産科の死亡率

1847年4月まで第一産科の死亡率は10%を超えていました。 しかし、5月半ばに彼の手洗い消毒が 第一産科で導入された後は6月には2.2%、7月に1.2%、8月に1.9%と劇的な死亡率低下を認めました。ほぼ、第二産科と同程度の死亡率となり、手洗い消毒法が産褥熱に対する何らか媒介物質を激減させることを証明しました。

この輝かしい成果をセンメルワイスはドイツ医学界に報告したり、論文にすることにはなぜか躊躇していました。そこで恩師であるヘブラ教授がセンメルワイスのこの方法を学会誌に2度にわたり紹介しました。さらに 1848年後半には、彼の教え子のが彼の業績の解説をロンドンの王立医学・外科協会に発表し、医学雑誌ランセットにその書評が掲載されました。数か月後には、また別の教え子が書いた同様の解説がフランスの雑誌に掲載されました。それらを読んだ一部の医師は大いに感銘を受けました。しかし、目に見えない病原体(細菌やウイルスなど)があることも定かでなく、それが何らかの病気を媒介するとは、当時、 病気は体の中の「基礎体液」のバランスが崩れることによって起こると信じていた大多数の医師たちには考えもつきませんでした。そして当然、 ドイツ医学界の支持は得られませんでした。*医師はきわめて神聖な職業であり、手が汚れていることはあり得ないし、 妊婦を診断する前に毎回手を洗うことは、面倒過ぎるといういうことでセンメルワイスは批難されました。

センメルワイス反射(Semmelweis reflex):通説にそぐわない新事実を拒絶する傾向、常識から説明できない事実を受け入れがたい傾向のこと

一方、イギリスでは以前より産褥熱が伝染性の病態であると一部の医師が発表はしていました。 スコットランドのゴウドン、マンチ ェスターのチャールズ・ホワイトの両医師は、臨床観察から産褥熱は丹毒様の 症状を示す伝染病であるとし、医師や助産婦を介して患者から患者へ感染 すると警告していました。この報告が ヨーロッパにどの程度周知されていたかはわかりません。さらにその頃アメリカでも産褥熱の発生は多く、オリバー・ウェン デル・ホームズは産褥熱で死亡した患者を剖検した異常からも伝播する危険性を1843年にボストン医学改善学会で 発表していました。 そのため、イギリスではセンメルワイス説は比較的よく受け入れらましたが、それは未知の物質ではなく産褥熱が伝染性疾患であるとの理解からでした。そのため、イギリスでも センメルワイスの研究に対する初期の反応は、「彼は何も新しいことは言っていない」というものでした。

しかし、ホームズの産褥熱伝染性病因説とセンメルワイスの病原性微粒子説とでは決定的な違いがありました。センメルワイス説は産婦と接触する際に未知の物質を取り除いた「清潔さ」が産褥熱を撲滅する唯一の鍵であるという防疫の概念を取り入れた画期的なものだったのです。 つまり、彼の研究の真骨頂は、産褥熱発症は特定のものに限らず、あらゆる腐敗性有機物によると警鐘を鳴らしたのでした。 しかし、この考えは当時としては極めて急進的でした。そのため、ほとんどの医師には無視されたり否定されたりし、時には嘲笑すら受けました。

批判に晒されながらもさらに1848年には彼は 産婦に接触するすべての医療器具にも消毒の範囲を広げ、産婦人科病棟から産褥熱をほぼ一掃しました。そして、 ウィーンにおける劇的な死亡率低下という成果がヨーロッパ中を駆け巡ることで、ゼンメルワイスは手指の塩素消毒が広く受け入れられ、何万もの尊い人命が救われると考えていました。しかし、このような輝かしい成果を持ってしてもドイツ医学界の重鎮であるウイルヒョウを初めとして医学界の支持は得られず、失意の彼は1850年に突然ウィーンを去ってブタに戻ることになりました。

ブタにある小さな病院の名誉医院長に就任し、この病院での産褥熱を1851年の一年間でほとんど駆逐しました。1851年から1855年の出産数933人のうち、死亡はわずか8名(死亡率0.85パーセント)でした。

1854年にはペスト大学の産科教授に就任し、大学産院に彼の手指塩素消毒法を導入しました。もちろんその効果は絶大でした。

1857年にはセンメルワイスはチューリッヒ大学から産科の教授職への誘いを受けましたが断り、ブタに残りました。しかし、その後には悲劇的な最後が待ち受けていました。

1858年にセンメルワイスは『産褥熱の病原学』と題した研究書を出版し、1859年には『私とイギリスの医師たちとの間の産褥熱に関する見解の差異』と題した論文を出版しました。さらに1861年には、自身の研究の集大成である『産褥熱の病理、概要と予防法』(Die Ätiologie, der Begriff und die Prophylaxis des Kindbettfiebers)と出版し、手洗いと産褥熱の関係性をヨーロッパ中に発表しました。

このような画期的な成果の発表にもかかわらず、確実に効果のある手指消毒(手洗い)が広まらないことにいらだち(もちろん密かに実践した医師は多数おりましたが・・・)、センメルワイスは次第に精神に支障をきたすようになりました。

1860年頃からは、ヨーロッパ中の主要な産科医たちに向け、彼らを無責任な人殺しだと非難する怒りの手紙を出したり、学会を誹謗したりする過激な行動に対して支持者も一定の距離をおく事態となっていました。さらに、私生活でも異常な行動が目だち、1865年にはついにセンメルワイスの同僚で彼の家庭医でもあるヤーノシュ・バラッサが精神病院に書簡をおくり、強制的に入院させられてしまいました。すぐに彼はそれに気づき、病院からの脱出を試みましたが、数人の衛兵にひどく殴打され、拘束衣を着せられ暗闇の独房に監禁されました。そして入院の2週間後に打撲の傷がもとで敗血症を起こし、 47才の若さで死亡しました。彼の葬儀に参加したのはほんの数人であったと伝えられています。

また、この病状に対しては鬱などの精神疾患ではなく、痴呆の一種であるアルツハイマー病を患った可能性や数千人の女性を無料で診療した当時の産科医がよく感染した梅毒の第三期症状との説もあります。

結果としてセンメルワイスは、見えない媒介物質(病原体を含む)を防ぐために「清潔」という概念を生涯に渡り、探求したのでした。細菌学の黎明期においては画期的な考え方ですが、生まれながらに高貴な血が存在するという貴族社会では受け入れられる考えではありませんでした。彼の死後、感染は病原菌によって起こることが発見されました。彼は、現在では消毒法と院内感染予防のパイオニアとして賞賛されています。彼の理論が科学的な裏付けを得て正しく理解されるようになったのは、彼の死後、数年を経てルイ・パスツールが細菌と病気の関係を突き止めてからでした。その後、*ジョセフ・リスターが消毒法を確立し、ゼンメルヴェイスの理論は次第に広く認められるようにりました。

* ジョセフ・リスター は後に消毒法の開発が認められ ヴィクトリア女王より「ライム・リージスのリスター男爵」 の称号を授与されました。

以上でセンメルワイスの悲劇的な物語は終わりです。

現代の私たちが彼を見習わなくてはならない点はただ闇雲に不安になるではなく、正しく恐れて自分たちができる範囲で見えない敵を防疫することです。

今回のCOVID19のような未知の病原体騒ぎはいつの時代にも起ります。また世界が狭くなった昨今、未知の病原体が持ち込まれるのは常に考えられることです。水際で 未知の病原体を防ぐというのは幻想でしかなく、 病原体の原因、対処法を研究するための時間をかせぐことが水際の目的に変ってきています。医学は長足の進歩を遂げています。未知の病原体に対する対処法は必ず見つかります。

不安になるよりは自分ができる基本の防疫方法である手洗い・うがい・休息を確実に励行しましょう。

感染症予防には何をおいても手洗いが大切です。特に最近では院内感染の防止に医療系の人達の手洗いが重要視されております。アルコール消毒はエンベロープを持つウイルスに対しては有効です。

インフルエンザ予防のために~手洗い・マスクのススメ

うがいは有効?

厚労省のインフルエンザ予防パンフレットにはうがいの記載はありません。世界的にもうがいは風邪の予防法として有効とは認知されていません。

ただし、口腔内を乾燥させないため、水で口腔内を湿らすことは大切だと思いますし、以下のようなデーターもあります。また、 口腔内は粘膜のため、イソジンなど刺激の強い消毒剤を使うことは意味がありません。外出時は水のペットボトル を持ち、乾燥しそうなら口内を潤しましょう。

休息とは

疲れたときに出歩かないこと、不要不急の外出をさけて、疲れないようにして自己の抵抗力(免疫力)をあげることです。睡眠を十分にとることも大切です。

インフルエンザの予防

COVID19の対処はおおむねインフルエンザの予防と同じでいいと思います。ただ、抗インフルエンザ薬のような効果のある薬やワクチンはまだ開発されていません。

厚労省のCOVID-19に関するページ

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/covid19-kikokusyasessyokusya.html

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/newpage_00032.html

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00094.html

目に見えない病原体に対して移動を制限する効果が目で理解できる動画( 2020/03/29 加筆 )

https://video.twimg.com/ext_tw_video/1243289541911277569/pu/vid/720×720/ChGilQ-aIE3K2LCm.mp4?tag=10

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP